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追廻門|赤い門とその知られざる理由【門で楽しむ和歌山城】

知る

日本には各地域にお城があって、地元民の憩いの場であったり、観光名所になっていたりしますよね。とりあえず行ってみるけど、、、「天守閣を見ただけ」「何が何だかわからなかった」と、イマイチ楽しみ切れていない人も多いのではないでしょうか?

行く前に、ほんの少しだけ、歴史的背景や豆知識を調べてみてください。予備知識があれば180度見え方が変わって、「こんなにも面白い建築物だったのか!!」と何倍も楽しめること間違いなし!

当記事では、和歌山城の西側の入り口追廻門をご紹介します。

毎週のように和歌山城に出向き、様々な視点から細かく観察している私たちが、追廻門の歴史と見ごたえポイントを教えます。

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和歌山城の西側の入り口

和歌山城には3つの門が現存しており、追廻門(おいまわしもん)は西側に位置しています。

追廻門

中央通り(国道26号線)からも見える場所に位置しています。「車から見たことある!」という人も多いのではないでしょうか。

中央通りから見た追廻門

歴史

「馬を追い廻していた」芝生近くの門

追廻門は、徳川頼宣(とくがわよりのぶ)によって、1619年ごろに造設された搦手門(からめてもん=裏門)です。砂の丸などと同時期に造られたとされており、和歌山城創建と同時に建てられた岡口門、1600年の浅野家による大規模改革で建てられた大手門に続き、残存する3つの門の中では最後に建てられた門になります。

「追廻門」の名前は、門のそばに馬術の練習場があった(=馬を追い廻していたことに由来します。

和歌山城内の建造物は、その長い歴史の中で、残念ながら和歌山大空襲や天災によって崩壊・焼失してしまったものが多いです。その中でも追廻門は、岡口門・井戸屋形とともに、一度も崩壊せず残存している貴重な歴史的建築物となっています。

追廻門のピックアップポイント2選

鬼門除けの赤色

追廻門といえば「赤」が一番の特徴です。3つある門のなかで、なぜ追廻門だけが赤色なのか、知っていますか?

理由は、その立地だといわれています。

和歌山城の歴史を辿ってみると、天守閣が丘の上にあり不便で手狭だったため、当時の藩主の居場所や主要な機関は二ノ丸エリアに集中していました。その藩主がいる二ノ丸エリアからみて、追廻門は南西方向。南西という方角は、鬼が出入りするとされる「鬼門」(北東)の反対側である「裏鬼門」にあたります。

裏鬼門は鬼門と同じく忌むべき方角と考えられてたため、裏鬼門にあたる追廻門は鬼門除けとして赤く塗られた、といわれています。当時の人たちはどんな思いで赤色にしたのか、、、、そんな歴史的な背景に思いを馳せながらじっくり観察してみると、また違った色に見えてくるかもしれませんね。

昭和の終わりまで赤色だと知らなかった!?

実はこの追廻門、風化のせいなのか汚れの蓄積のせいなのか、昭和60年の解体修理で朱色であったことが判明したそうです。修理前は赤くなかったのかなと、純粋に疑問ですね。笑
当時修繕対応した人は、事前情報がなかったのであればさぞかしびっくりしたことでしょう。

和歌山市の文化財より。解体修理時の写真。

桜で来場者をお出迎え

やはり一番は桜の季節でしょう!追廻門と共に来場者をお出迎えするような桜の咲き方で、空の青、門の赤、桜のピンク、松の緑、、、、それぞれのカラーコントラストがとても綺麗です。

追廻門から入って右側には和歌山城随一の花見スポット、左側の砂の丸広場には桜の季節に合わせたイベントが開催されていることもあります。

花見に行くときには、ぜひ追廻門から入場してみてください!

和歌山城の楽しみ方は天守閣だけじゃない!

いろんな情報を知れば知るほど、お城を訪れる時の楽しみが増えますね♪ 和歌山城には追廻門のほかに、大手門と岡口門があります。追廻門以外についても知りたい方は、こちらも読んでみてください。

当記事では門に着目してご紹介しましたが、また別の視点として、石垣に着目した記事もまとめています。お子さまと楽しめるような内容もありますので、ぜひ和歌山城に訪れる前には石垣についても調べてください。

ではっ!ばいばいっ!ノシ

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