和歌山城の南西エリア、県庁前交差点の付近でビルの立ち退きが進んでいるのをご存知ですか?
一見普通の街並みに見えますが、あのエリアは「扇の芝」と呼ばれていて和歌山城の一部に追加指定されたエリアなのです。
当記事では、そんな扇の芝の整備計画についてご紹介します。
扇の芝ってどこ?
和歌山城南西にある三角形の一帯が、扇の芝と呼ばれているエリアです。
かつては芝生広場で、三角形のその形が扇のように見えることから、扇の芝と名付けられたと言われています。
今は「芝」ではなく、ビルや住居が建ち並ぶ普通の街並みの一部となっています。
ぱっと見では和歌山城の一部とは思えない状態ですが、2023年7月には国の史跡「和歌山城」のエリアの一部として扇の芝全域が追加指定されています。
和歌山市民からすると、中央通りと三年坂通りの交差点(県庁前交差点)として認知している人も多いでしょう。
扇の芝の歴史と役割
扇の芝は、元和7年(1621)に徳川家初代城主である徳川頼宜が和歌山城郭の増築を行った際に造られた、石垣の外側に設けられた広い芝生エリアでした。
主に次のような使い方をされていたようです。
- 見通しの確保
- 工事の資材置き場
見通しの確保
和歌山城の周辺は、北~東にかけてお堀で囲まれています。
また、南面も東側半分はかつてはお堀がありました(今は埋め立てられ、つつじ園になっています)。
そんな中、扇の芝のあった南西エリアはお堀がなく、敵が侵入しやすい場所になっていました。
砂丘っぽい土地だったことから、お堀を造ることが困難だったためと考えられています。
そこで、あえて広い空間を設けることで遠くまでの見通しを確保し、敵襲をいち早く察知できるようにした、というのが扇の芝が造られた経緯のようです。
さらに、扇の芝に面する石垣は一直線ではなく、「屏風折れ」というたくさん折り目がついたような形をしています。
効率よく防御できるように工夫された石垣で、敵襲に備えてあえて折り目を付けたと考えられます。
塁線に角度を設けることによって、敵の弱点である横合いから弓を射かけたり鉄砲を撃ったりすることが可能になり、少ない飛び道具も有効利用できるのです。
城びと|第46回【構造】お城の塀や石垣はどうして折れ曲がっているの?より
工事の資材置き場
和歌山城の天守閣は弘化3年(1846)に落雷で一度焼失してしまっています。
天守閣は4年後に再建されるのですが、扇の芝の広い土地は再建工事の際には資材置き場としても活躍したそうです。
扇の芝の現状と整備計画
明治以降に徐々に開発が進み、現在では芝生だった頃の面影はなく、住宅や店が建ち並ぶ普通の街並みの一部となっています。
史跡和歌山城扇の芝整備基本計画という整備計画に基づき、少しずつ立ち退きが進んできていて、およそ半分程の土地が更地になっています。
(和歌山市によると、2023年9月28日時点で公有化率は56.43%とのこと)
立ち退きに伴い、建造物に隠れてしまっていた屏風折れの石垣も、少しずつ見えるようになってきました。
将来的に、扇の芝は芝生広場とする方針で整備が進められています。
扇の芝のあるべき姿に戻すことで、屛風折れの石垣や天守閣がよく見えるようになるとのこと。
石垣のライトアップやプロジェクションマッピングによるイベントも検討されているそうです!
完成予想図と現在の様子と見比べてみましょう。
手入れされた芝生から屏風折れの石垣が目立ち、城郭の鬱蒼とした森林も剪定することでより連立天守閣が目立つ景観になっています。
和歌山城を応援している身としては楽しみな整備計画だけど、そこに住んでいる方々にとってはあまりいい話ではないよね。。。
そうだよね。難しい話にはなるけど、いい形になるように和歌山市には頑張ってもらいたいね。
当初は2045年頃に完成を目指す、超長期計画でした。
ですが、既存建造物の立ち退き整備が順調に進み、国の史跡指定も完遂したことから、令和9年度には整備完了するという前倒しのスケジュールが発表されました。
特にこの三角形の芝生エリアは令和6〜7年度には整備が進められる予定とのこと。とっても楽しみですね!
きっと近くを通るたびにどこかしらが変わっていくと思うので、ぜひ経過を観察してみてください♪
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